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もの心がつき始めた頃に、隣の伯父の家で何時も見ていたカーグラフィック誌がバイブルとなり、その影響で乗り物のデザインに興味を持ち、いつの間にか脳裏で暇さえあれば、モックアップをシェイピングする癖がついていた。小学時代に初めてメグロの爆音に痺れ、中学時代にはCB-K0に圧倒され、高校では学校には内緒で自二車を裏山に隠して通学し、何度か白バイから追いかけられ、ボロボロの学ランで教室に向かっていた事を思い出す。大学の卒研先に停めてあったドカMHRに憧れ、就職後に念願のBOTTにRSで出場する。バブル終焉時にソブリンで河口湖まで運転手を頼まれ、Jaguar信者となり…色々あって、やはり自分の道は童心に戻りロングノーズ・ショートデッキの60年代シェイプラインが原点の乗り物と悟り、隙間産業のトレーラブルボートを開発しようと一念発起し独立、今日に至る。 尊敬する心の師は、トリノ郊外にお住まいのマルチェロ・ガンディーニ氏である。  

2011年10月29日

〝2003 東京国際ボートショー〟

構想期間も入れると足掛け3年有余の開発期間を費やし、漸く完成した140型ハンマーヘッドはこれまでの弊社トレーラブル艇販売実績から得た貴重なユーザー様からのご意見やご指摘を受けたR&Dのエキスの塊の様な徹底した拘りで、コストを度外視してでも造りを優先させた結晶となった。中でも造型への拘りは一見国産艇とは思えない様なデザインに加え、ブラック&ホワイトのツートンカラーを標準色として一発で、それと判るルックスに仕上げる事が出来た。

また、従来艇のバウデッキを尖らせていた事によるスペース不足や浮力不足等の短所を改善させ、何より低燃費で長距離航行も安心してこなせる高効率ハルの実現、更に早朝や夜間のトレーラーへのランチング時に欠かせないハロゲン式ドッキングライトや専用開発したSUS製大型燃料タンク、そして何よりも拘ったのは、以前SR180BBの取材時に「バウレールが最先端にあれば完璧なのですが・・・。」と指摘されていた事で評価を下げた悔しい思いから、今度はボートの最先端でも横波を心配する事無く、キャスター腰部をしっかりとガードしキャスティングやボトミングが自由に出来る着脱式バウレールの純正オプション化を行った。

オプションのオートパイロット・バウモーターやサブバッテリーの設置スペースや操作性にも充分余裕を持たせ、それでいてステップハルにより、前方傾斜にならない浮力のバウデッキ設計を実現させることが出来たのである。

艇幅では、同じ頃にS社からデビューしていたGYOという19feet艇より船体幅を持たせたワイドビーム設計で、尚かつカテドラル船底形状は、14feet艇としてはまさにクラス超えの停止時安定性を誇り、小回り性やシャローエリアでも不安なく入って行けて穴打ちも可能な、シーバサー御用達の一艇としてそのターゲットを絞った。


























デビュー以来、今日現在でも着実に進化と遂げている140型ハンマーヘッドは、デビュー当時は30~40馬力が最大搭載可能な機関出力であったが、現在では様々な改良や耐久テストを重ねた結果、140Ⅱ型としてJCI本部承認を受けてリニューアルデビューを果たし、50~60馬力が搭載され新たなパッケージのラインナップの基、純国産ソルトウォータートレーラブルの一つのブランド艇との評価をいただき、現在も全国販売中である。

尚、この時のショーデビュー時に、偶々ご来場をいただいた東京在住のS氏との出会いは、後に弊社に取っても全国展開に向けて多大な貢献をいただく事となり、何よりも当時はまだまだ無名な弊社艇を関東エリアのみに留まらず、東北エリアから東海エリア、果ては中国エリアまで自らボート牽引し宣伝活動にご協力いただき、更にネットの世界でも孤軍奮闘されフィールドテスター的な実艇実釣レポートにて応援をいただけた事は、弊社に取って東京国際ボートショー2003 出展での最大の成果となった事は云うまでも無く、改めて心からの深謝を申し上げたい。

  



2011年10月27日

ヘル&パラダイス

昔々、「蜘蛛の糸」の芥川物語を読んだ事を想い出す。

私が居住している別府市にも天国と地獄が存在するのであるが、私的に思うに、お釈迦様の居られる天国の境地に浸れる取って置きは、夕暮れベタ凪時の別府湾である。ボートから蓮の葉のように漂いながら見る別府の街灯かりは、本当に静寂で綺麗この上なく、宝石箱をひっくり返した様な美しさで、雅に天国の境地である。

勿論、船底一枚下は地獄であるが、別府には「蜘蛛の糸」に出てくる血の池地獄をはじめ多くの地獄が存在し、それらの地獄を観て歩く「地獄めぐり」も子供さんがいらっしゃれば、小さいうちに是非連れて行ってあげて貰いたい。そして「蜘蛛の糸」の物語を話してあげたら、きっと大人になっても自己中には気を付けるようになるであろう。

かくして、人生には色んな場面でお釈迦様は銀色の「蜘蛛の糸」を垂らしてくれるのであろう。
ある日のこと、工場から帰りの道中に地元大分出身の歌手の懐メロを聞いていた。「今も想い出す度、胸が痛む…♪」とサビに陶酔していたら、電話が鳴った。「知人から頼まれたのですが、ボートを見せていただけますか…?」 その1本の電話からのご縁で、今では年に数回お隣の県に足を伸ばす事となった。

お目当ては、GS&Julie トリビュートバンドのライブである。
元々、バンドには興味があったが、やはり波長が合えば癖になる程また行きたくなるのである。



























そして、若さを貰って、別府に戻り、「毎日が地獄です」の環境に馴染んでいくのであった。


  


Posted by trailable3150 at 22:28Musica
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2011年10月23日

〝世代を越えて〟

普通免許で牽引可能なソルトウォーター用トレーラブルボートとして、これまでの18feet艇からあえて14feet艇へのダウンサイジング果たす意義をより鮮明にする為、徹底した安全性と航行性を高める必要があったのは勿論であるが、何よりもオーナーズドライブを大前提とした満足感を荒天時に納得していただく事が最大の課題であった。

その為に従来の同クラス艇には無かった発想、つまりZ軸モーメントをより小さくする事、そして、ボトムヘビー化を徹底させる事、基本的にはイタリアンカロッツェリアからのデザイン&設計のルーツを踏襲することとなる。

トレーラブル艇クラスにて積載される重量に対し、重量比率が高いパーツに、エンジン、燃料タンクとバッテリーがある。機関重量はMax.115kgを想定、ステアリングホイールから足元に掛けてをZ軸の基軸として前後Y軸、左右X軸のバランスを図る様にする事とボトムヘビー化に不可欠なSUS製の燃料タンクMax.53kgをセンターコンソールフロア面下部に設置する事で、ボトムヘビー化を徹底させ更に、空でも満タンでも浮力バランスに影響しない安定性を確保する事とした。また、90Aメインバッテリー17kgもドライバーズシート真下のフロア面から一段下がったゲル面に装備する事とした。

このことにより70kgがZ軸モーメントをより小さくすることに貢献し、生簀に海水を満たす事で、機関重量とのバランスとボトムヘビー化に繋がる生簀形状と容積を確保した。更に、風に流されにくいガンネル・コンソールの高さと形状に拘り、人間工学に基づく機能的デザインを追求し、都合7つのストレージを有するデッキデザインが完成した。

また、一番の特徴たるバウデッキにも更なる拘りを持たせたが、長くなるのでここでは触れず、後日としたい。

















こうして、国際規格に充分通用し、世代を越えて海洋ロマンに夢を抱ける純国産の可搬艇140型ハンマーヘッドが、「2003年東京国際ボートショー」開場の前日ギリギリに東京ビッグサイトに到着したのであった。




  



2011年10月18日

〝モチーフの決定〟

140型トレーラブル艇を創作建造するにあたって「ドリームハル」の完成により、漸く7つのテーマの内、1.~ 6.まで概ね終点が見えて来た。

残るは、7.のテーマ「独創的デザイン」、コンソール・ストレージ・シアーラインを決定する事が最大の関門として立ち塞がっていた。何故なら、当時の一般プレジャーボートのお決まりな外観では、左右のモデルネームやビルダーロゴなどのデカールを外した途端に真っ白で、何処のビルダーの何というボートなのか判らなくなる様な画一的なデザインが多く、同様の対応では、ガンディーニ氏を敬愛し、シアーラインに拘る者として許されないことでもあった。意地でも一発で明確に判明出来るシアーライン、第一印象となるべく特に力点を於いていた。即ち、大海を泳ぐ「モチーフの決定」こそ、最大のテーマであった。

全長こそ14feet であったが、極力ワイドビームでそれも船首まで維持することで完成させた「ドリームハル」であった事で、真上から見ると将棋の駒の様にも見えるほど船首形状が寸詰まりの印象であった。連日連夜これまでにトレーラブルボート屋として経験した出来事を思い出し、一方で図書館で借りた海洋生物の図鑑などを参考に体長4.3m程に成長する魚類を調べる日々が続いた。

ある日の事である、九州地方が台風の進路に当たりそうだという事で、弊社ファシリティーズのトーイング艇を夕方スロープにて揚げる事となったが人手が足りず、先にゲレンデに到着したため一人で揚げる事とした。ポンツーンからインディータントラムをスロープに回航し、先にセットしていたトレーラーにランチングして何気なしにボートサイドからスロープに飛び降りた時であった。
ビーチサンダルがスロープの藤壺に引っかかり、素足となってスロープの苔で滑ってしまった。日も落ちて薄暗かったせいもあるが、勝手知れたスロープであったので簡単に考えていた事が悪かった。素足で滑って行ったその先には、牡蠣が群生しており足裏が大根おろし状態となり深く数箇所切れてしまい、見る見る辺りの海水が赤く染まっていった。それでも、ボートが大事と思い、プカプカと浮いているビーチサンダルを取り寄せ、バウアイを固定してヘッド車で揚げた。その後、近くの整形外科に行き処置を行ったが、暫くは歩く事も侭ならず不自由をしたが、ビーチサンダルなどで舐めてかかったことは所詮、因果応報であった。

怪我の功名と云うか、その事で思いついたのであった。
あの時、スロープを照らすドッキングライトが有ったら、あの薄暗い中でも苔が見えたに違い無い。
「ハロゲンの明るい光で、スロープを照らそう!」
「そうだ、左右に付けて眼玉にしよう !! 」
















モチーフが決まった瞬間であった。 体長、4.3m 以上に成長する平撞木鮫 「グレート・ハンマーヘッドシャーク」




  



2011年10月16日

〝もどり鰹〟

震災後、大手ビルダーによる増産体制により、漁船の供給が順調に進んでいると風の便りに聞き及んでいたのであったが、先日の地元新聞の一面に “震災後半年以上経過して、未だ4%の供給実績。” との記事が書かれていた。そこで弊社でも何か漁業復興の為に微力でも応援出来ないものか悩んだ末、検討会を実施した。その結果「こちら九州であれこれ想像しても仕方が無いのて、実態調査に現地に出向こう!」と決し、昨日まで、3日間の行程で宮城県を中心に沿岸部調査に覗って来た。

全く右も左も分からぬ状態で現地に出向く訳であった。正直不安な面も多々あった事は事実だが、当初の予定していた行程での沿岸部調査を 気仙沼~本吉~志津川~雄勝~女川~石巻~松島~塩釜~名取 に亘り、一巡して現地漁業関連の関係各氏とお会いさせていただき、お話を伺う事が出来た事は、誠に有意義であった。

特に印象的でありエネルギーを貰った事は、気仙沼漁港に到着した際の光景であった。
漁港周辺は、完全に津波で破壊されており、被災した建物は殆ど撤去されている状態であったが、魚市場は既に活気に溢れ、丸々と太った〝もどり鰹〟の水揚げ作業中であった。





























続々と大型の一本釣り漁船が入港しており、復興への息吹は、広大な被災地を行き交う大型冷凍トレーラーから巻き上がる砂煙に東北人の芯の強さを痛感し、逆に多大なるエネルギーを頂戴したのであった。



※今般、大変お世話になった宮城のAさん、Sさん、Tさん、そして新潟のHさんに深謝をいたします。
「本当にお世話になりました。ありがとうございました!」

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Posted by trailable3150 at 19:39復興
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2011年10月12日

ちょっと一息

毎年この季節になると身体の底から、単車が恋しくなる。
田舎育ちの身にとって紅葉が始まるこれからの季節、街中とは明らかに異なる凛とした山の空気は、本当に身が引締まり生命の年輪を刻む意味でも、人生の峠を越えて往く様な思いで山道に向かいたいものだ。

最近でこそ単車に跨る機会が減ったが、140型の開発中には気分転換に阿蘇や高千穂方面へ単車をコロがしに出向いたものである。

その頃のエピソードで、今でも思い出し笑いをする事がある。映画「Back to the Future」 にチラリと映っていた単車で、ホンダのPC-800をコロがしていたのだが、当時ホンダマリンの弊社担当者が大分入りした時に偶々単車の話になった。「実は今、気分転換にパシフィックコーストをコロがしてるんですよ。」と云ったら、その担当者が、「はいはい、PCはよく知ってますよ。」そこまでは良かったのだが、その後に愕然としたのであった。「自分は一時米国に赴任していたのですが、そこの営業所の女の子がPCで通勤していましたよ。」……暫くの間沈黙が続き、「あっそうなんですか…!? PC-800でね~!!」と云うと、その担当者が続けて「PC-800はどちらかと云うと米国では女性向けで、男性向けにはGL-1500でしたね。」 更にダメ押しに「うちの福岡(営)の所長は今、ワルキューレに乗ってますよ。」と笑いながら云い放ったので、こっちは肩身が狭い思いで「いやぁ~、羨ましい話ですね~。」と苦笑しながら、この野郎、ホンダの社員だから云いたい放題云いやがるが、米国ではPC は女性用なんだ…?!  あらためて民族のスケール感の違いを思い知らされた。今となっては、懐かしい笑い話である。


今後の人生で、最後に跨ってみたいと思っている単車がある。
それは、「アメリカン・チョッパー」であり、若かりし頃の憧れでもある。
















フリーダムとリベラルは明らかに違うが、自分は後者の生き方を選ぶであろう。
その時のパートナーとして・・・。
 

  


Posted by trailable3150 at 22:11単車
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2011年10月11日

夢中になって試作を繰り返し、夢に見た「夢船底」

「特許を取得されたら如何でしょうか?」
大分県産業創造機構のS氏からそう勧められる程の完成度の高さと高効率の船底(ハル)形状であった。

実際に過去の特許権を調査してみると、国内企業からの申請案件は見付からなかったが、意外にもオーストラリアの企業からの出願が確認された。しかも、その出願部門はボートでは無く水上機のフローターであった。確かに、理に適った内容であったが、何と出願されていたのは第2次大戦以前の話であった。

単なるV型のハル形状に段差(ステップ)を設け、あえてキャビテーションを発生させて接水面を気泡により剥離させて吸引抵抗を減少させ、さらに気泡層による水圧衝撃を減少させより高速航行を可能とさせるパワーボートはこれまで各国にて製造されているが、これらはすべて高速運動性能アップの為の対策が殆どであった。

これを停船時の安定性能をより高める為のハル形状であるカテドラル形状のハルでステップ形状を採用しているボートは世界中にも稀有であり、少なくとも当時国内の市販艇では確認出来なかったのも事実であった。

また、試作ハル1号機はノンステップのカテドラル、1号と全く同形状、同サイズのカテドラルハルにステップを入れた試作ハル2号機にて同じ40馬力船外機を搭載し、装備重量も同じ状態での試運転で、トップスピードが平均29.3ノットであった1号機に対し、2号機では33.7ノットを記録し15%ものトップスピートが上回ったのである。また、同時に25ノット一定速度の燃費も25ℓ入りのプラスチックタンク満タン試走1時間での比較でも燃料消費率で2号機は15%以上の低燃費である事が確認出来た。
これらの試運転を結果を得て、更に旋回時のキャビテーション問題を解決させた試作ハル3号機を基にリバースドチャインやスプラッシュガードの形状を煮詰め直す試運転を繰り返し、漸く2002年晩秋に生産型(ハルモールド)が完成した。

結果は当初からの開発テーマであった、釣り時の停船時安定性・高レベルの高速性と旋回性・そして抜群の低燃費性を全て両立させ、更に永久浮力体を各船底室に充填しロングランの不沈性を確保。また、船主が鎮座するドライバーズシート下部はステップハルによる気泡効果とショートデッキ部のメリットにて、叩きを抑制し長距離航続時も腰への負担を抑制させる夢の船底形状を実現し、その名を「ドリームハル」と命名した。

















これまでの18feet艇に勝るとも劣らない高効率の「夢船底」は、こうして難産の末に生み出されたのであった。

  



2011年10月10日

「ダウンサイジング」との葛藤

60年代のメインフレームと呼ばれた大型コンピューターの時代から、70年代以降は、ICチップの小型化に伴いコンピューター自体も人が現場で必要なデーターを元に必要な仕事を遂行するための発想で、汎用サーバーに置き換えるという一連の流れから、「ダウンサイジング」と云う言葉が生まれ、更なる進化により現在の端末は格段に使い勝手が向上したことは云うまでもない。

然しながら、海面に浮かぶモーターボートの世界では、設計上の「ダウンサイジング」に於いて一番障害となるのは、人間の体躯である。

一般にボートサイズを大きくすればするほど浮力も確保され安定性は増していくが、反対に接水面も増加して慣性の法則と吸引抵抗から、搭載機関も急激に大きな出力が必要とされイニシャルコスト・ランニングコスト共に高くなる。その反対をやるとどうしても浮力が小さくなり人間の移動だけでも横波転覆に繋がるケースも発生し人命と云う金銭では代償できないものを脅かす事にも繋がり兼ねない。

そこで、陸上とは異なる海上での安全性を最大限に保ちながら、「ダウンサイジング」を具現化し、同時に低燃費、高速性、停船時安定性、人間工学に基づく使い勝手の良さ、そして何よりも一般駐車場にて保管可能なサイズの究極のボートサイズが大前提の船底形状の割り出しへ徹底的に総力を掛ける事に最大の開発期間を投入する事とした。





これまでの18feetから究極の14feetへの「ダウンサイジング」。しかも、3度目の試作ハルであった。
「これなら行ける!」と納得しハル型最終形状を決定した時の海上試運転は、誠に感慨深いものであった。
夢中でハル開発に取り組んでいた結果、浦島太郎よろしく気が付くと2年間の歳月が流れていたのである。